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2010年01月31日

DAIGO味!!

ユーチューブでポケットモンスターの動画を見て、懐かしいと感じる三國志本舗です。



最近は不況ゆえあまり外出する機会がなくなりました。
そのときは大抵家か図書館のどっちかにいるのですが、横山光輝氏の三国志を読んでじっくり味わっています。
読んでいるときが自分でいられる楽しいときで自分にとって正に醍醐味だなあと思います。


DSCN0056 1.jpg
posted by footloosebundai at 13:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月30日

かなり前の続き・・・

ユーチューブでジャパネットたかたの動画を見ていた三國志本舗
です。


以前、PS2のソフト「無双OROCHI」について書いたと思いますが先ほどもそのソフトをやって織田信長で兵士たちをブッタ斬るのがやはり爽快ですね。
僕にとってお薦めのソフトの一つですよ。
あなたも是非、やってみては??
posted by footloosebundai at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月29日

動機

ユーチューブの動画を見て、何かネタがないか探し回っている三國志本舗です。


今回は少し違って私が三國志を好きになったきっかけを教えましょう。
私が中学生のときに図書館に行ったときにコーナーになっているところがありました。
そこは三國志に関する本が集まっているコーナーでした。
そこで本を読んだ瞬間、興味を持ち三國志の虜になってしまいました。
知れば知るほど楽しくなってきました。
今では暇なときは三國志の本を読み漁る様な状態になっています。
あなたも興味がないと思っている本を読んでみると意外に面白いと思うかもしれませんよ。
posted by footloosebundai at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

孫策伯符について・・・

ミスタードーナツや旅行の話題が沸騰しているなか、あくまで三國志の話題をする三國志本舗です。


今回は呉の小覇王・孫策伯符についてお話をします。

彼は孫堅文台と呉夫人の間の長男として175年に生まれた。
父・孫堅は荊州の戦いで劉表の謀臣・蒯良の策で戦死した。
孫策は劉表に事前に捕虜になった黄祖と孫堅の遺体を交換という条件で和解した。
その後、袁術公路から玉璽と引き換えに兵3千を借りて呉郡に自国の領土を広げた。この時、孫策は19歳であった。
彼の爽快な性格は周囲の人間を引き寄せるカリスマ性があった。
だから孫堅の旧臣たちは快く孫策に従ったのだ。
だが袁術との関係が悪くなると袁術討伐軍を起こしたり、曹操との関係が悪くなると都を襲撃する計画を立てたりとかなり感情的になる部分もある。
最期は曹操と内通していた許貢の配下の襲撃で重傷を負い、そのまま死んだ(別説では斬殺した于吉仙人の祟りで死んだという説もある。)
後継はすぐ下の弟・孫権に託したという。享年25歳だった。
もっと孫策が長く生きていたなら、時代はもっと変わっていたかも知れない。
posted by footloosebundai at 04:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月28日

最大の戦い!!

確定申告の話題が沸騰しているなか、あくまで私は三國志の話題をさせていただきます。


ご存知の方もいると思いますが、184〜280年までの間に起きた最大の戦いは・・・
208年に100万の歩兵等を率いる曹操軍と、合わせて約10万の水軍兵等を率いる劉備・孫権連合軍が対決した「赤壁の戦い」である。
表面上は連合軍の船と船を鎖で繋ぐ「連環の計」や、偽りで降伏した蔡和・蔡仲の「埋伏の毒」を逆手に利用して黄蓋の「苦肉の計」で曹操を信じ込ませ、曹操軍を火計をもって大敗させた戦いであるが、じつはこの戦いの裏ではもう一つの戦いがあったのだ。


それは諸葛亮と周瑜の知略対決でもあった。
両者が連合した後、周瑜の陣営に周瑜の旧友である曹操軍の蒋幹が訪れた。
周瑜はそれを手玉にして蔡瑁を謀殺するのに成功した。
だが周瑜は誰も計略とは気付かないと自信満々に思っていたが諸葛亮だけは成功のお祝いと称して気付いていたのである。

「この男は将来、呉にとって邪魔な存在に絶対になる。今のうちに何とかせねば・・・」

ある日、周瑜は諸葛亮に無理な難題を与えて謀殺することを考えて「10万本の矢を10日以内で集めて欲しい」と依頼を出す。
しかし諸葛亮は10日では時間が掛かり過ぎるから3日で10万本の矢を集めると宣言した。自分で墓穴を掘ったと周瑜はほくそ笑んでいた。
3日後、霧が立ち上る天候で諸葛亮は魯粛と共に藁人形を乗せた船で曹操軍の陣に近づいた。
そして陣の前で太鼓を鳴らし奇襲のふりをした。
曹操軍は奇襲と勘違いし大量の矢を射た。
船は矢で串刺しになり、諸葛亮は満足気に引き揚げた。
帰ってきた船を見て周瑜は、


「私の才ではとうてい及ばない・・・」


と考えた。因みに矢は全部で15万本余り集まった。

周瑜は東南の風が吹かなければ勝利を得ることが出来ないと言ったので諸葛亮が東南の風を吹かせるための祈祷を開始した。
事前に諸葛亮は「東南の風が吹いたらすぐ攻撃を開始してくれ」と伝えた。
案の定、東南の風が吹いたので周瑜は安堵感を持ったが同時に徐盛と丁奉に諸葛亮を暗殺するように命令した。
諸葛亮はそれを察知して事前に川岸に趙雲を待たせるように伝えた。
そして無事、暗殺から逃れることが出来た。
赤壁で勝利はしたものの、それからは周瑜と諸葛亮の知略対決が終わることはなかった。
先に曹操軍と戦った周瑜は南郡攻略戦で負傷して曹操軍と苦戦してしまい、劉備軍に荊州を取られて病没した。



これらは現代にも通じることでやはり最終的には戦略や洞察力が優れている人間は大きい対価を得ることが出来るということである。
posted by footloosebundai at 06:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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